「昨夜の晩酌」
こちら「昨夜の晩酌」でご紹介している酒器やその他の器は、基本的には私の自宅にあって店頭には出ていないもの達です。
こちらでご紹介した酒器やその他の器の中で、もしご関心をお持ちになられたものがありましたら、「お問い合わせ」欄よりお知らせください。ご関心を持たれた品、ご来店日をお知らせ頂けましたら、店の方へ持って参ります。
昨夜の晩酌(お久しぶり更新の巻)
サーバーの移管も昨日で無事に終わりまして、今日からこちらのブログの方も更新可能となりました。
その間、世の中ではいろいろな出来事がありましたが、なんといってもトルコ大地震の報道は衝撃的でした。トルコ南部で発生した大型の地震により、トルコとシリア北部での死者が4万人超えです。生存者の人達も寒い中を屋外での避難生活を強いられており、大変厳しい状況のようです。
トルコは古くから親日国家で、今日まで友好な関係を続けてきました。
その始まりは明治時代、当時のオスマン・トルコ帝国が派遣した軍艦エルトゥールル号が和歌山県沖で台風に巻き込まれ座礁沈没した際に、紀伊大島の住民が69名を救出した「エルトゥールル号遭難事件」でした。この件は、トルコの教科書にも記述があり学校で教わるので、トルコの人達は日本に対する友好的な感情を持ってくれているのだという話を聞いたことがあります。
1985年イラン・イラク戦争では、エルトゥールル号遭難事件の恩返しと、イラン在留日本人の救出にトルコ航空機が出動し200名以上が救出されました。
その後は両国で生じた大地震の際には、救助隊の派遣や援助を双方が積極的に行ってきており、お互いが恩返しをするような関係が続いて来ました。
今回の大地震に対する支援も日本が率先して積極的に行うべきでしょう。あまりに大規模な被害で、復興までに要する時間がどれほどになるのか想像もつきません。こういう時、自分の無力さばかりを感じてしまいます。
そんな話の後で申し訳ございませんが、昨夜の晩酌です。
赤上がりで小ぶりの盃は、李朝後期~末期に民窯で焼かれたものでしょう。実物は画像で見るよりもう少し赤みが強いです。見込みに釉溜りも見られます。形状は半筒形です。購入した後と言っても、もう20年近く前でしょうか。その当時は結構よく登板してもらっていましたが、このところ出番は少ないです。一度こちらで紹介して以来ですから、1年以上は空いているでしょうか?登板頻度が上がれば、赤みももっと増して行くんでしょうけどね。
青磁釉のかかった李朝初期の徳利も数年前になりますが、こちらで以前紹介したことがあります。口部に金継が施されていますが、全て割れ継ぎです。私がやってしまいました。元々は無傷だったのですが、煮沸した後に取り出そうとした際に寸胴鍋のふちに落としてしまい、首がぶっ飛びました(笑)。申し訳ないことでした。容量は1合2,3勺ぐらいで、サイズもよいのですがね。残念でした。
お料理の方ですが、海老豆(煮豆)と小アユの甘露煮は分院末期の染付皿に、鱈の子煮は伊羅保手の小鉢に、モズクは白磁変形小鉢(李朝後期~末期)に、おからは高麗青磁の小鉢に、それぞれ盛り付けてみました。
小鮎は琵琶湖産の鮎です。琵琶湖の鮎というのは食物の関係で、河川にいる鮎のように大きくはならないのだそうです。なので子供の鮎という訳ではありません。これで大人です。
白磁の変形小鉢は、薬を瓶などに入れる際に使ったものだと、入手した際に聞きましたが、定かではありません。