メニュー

ソウルタワーの見える風景(2024年5月)Part1 - 韓国骨董 李好

TEL:075-532-5877

〒605-0089 京都府京都市東山区古門前通大和大路東入元町367-4 杉山ビル2階 *京阪三条駅より徒歩3分

 

京都府公安委員会許可第611251830002号 TEL/FAX:075-532-5877 営業時間 11:00~18:00 定休日 水曜日

 

ソウル情報

「ソウル情報」

こちらでは、ソウルの骨董情報をご提供しております。ソウルの骨董街、仁寺洞、踏十里・長安坪古美術商街、黄鶴洞等の関する情報のご提供。また、それら地域の骨董店のご案内も致しております。

お食事処につきましても、骨董街の周辺を中心にソウルのお食事処を幅広くご案内致します。 ソウルの骨董街へお出かけの際には、ぜひご参照の上、ご利用ください。

ソウルタワーの見える風景(2024年5月)Part1

カテゴリ: ソウル情報 作成日:2024年06月17日(月)

20240617 1前回に訪韓時のご報告の際にも申し上げた通り、私は1992年から2000年の約8年間ソウルに在留し、最後の3年間を龍山区(ヨンサンク)の厚岩洞(후암동 フアムドン)で過ごしました。2番目の地図の地下鉄4号線淑大入口(숙대입구 スクテイプク)駅と1号線南榮(남영 ナミョン)駅に周辺になります。地図の縦に走る水色の路線が4号線で上方にある駅が淑大入口駅で、その左側の藍色(濃い青)の路線が1号線で下の方にあるのが南榮駅です。いずれもソウル駅の次の駅です。

この辺りの地域が当時の私の生活圏で、現在の訪韓時にもこの辺りで食事などをしています。最初の正面にソウルタワーが見える写真はナミョン駅から淑大駅の上に当たる한강대로(ハンガンデロ)に出る交差点付近から撮ったものです。

3番目の写真の建物が当時の私の職場があった建物です。地図の9番出口を出たところです。今はもうありません。帰国して2,3年のうちに無くなりました(笑)。写真を見ると手前に横断歩道が見えますが、当時はありませんでした。というか、コロナ禍の後になって来た時に出来てました。なのでつい最近までは道の反対側に行くには地下鉄駅の地下への階段を使って上り下りしての移動でした(笑)。90年代の韓国は本当に横断歩道が少なく地下道を使っての移動が普通でしたね。

その向かい側に4番目の写真の한솥(ハンソッ 一つの釜の意味)という弁当屋さんが今もありました。この한솥という弁当屋さんはチェーン店で日本の本家かまどやの姉妹会社として創業されたそうです。当時はメニューもかまどやの弁当に似たようなものが多くあり、お昼によく利用してました。この日は張り紙があり早く営業を終了していたようです。地図4番出口のあたりですね。

20240617 2 20240617 3 20240617 4

次の5番目の写真の「Alpha」という店は当時の職場の隣の建物で文具屋さんです。当時も今もちょくちょく利用してます。ホテル近くのダイソーに無い物などをこちらで探します。文具だけでなく傘、ビニールのショッピングバッグ、靴下やぬいぐるみの人形などのおもちゃ類などもあったりします。

そこからナミョン駅の方向(地図下の方向)に行くと、ナミョン駅の交差点に近いところに6番目の写真のような地下へ下りる入り口の階段があります。ここの地下にかつてはボーリング場があり、屋根の上にボーリングのピンの看板もありました。ボーリング場と言ってもレーンが6レーンぐらいのところです。90年代にはそのようにビルの地下に小さなボーリング場が結構存在してました。しかし90年代後半以降ここは日本のキリンビールの居酒屋など、居酒屋やビアホールになってたんですが、今はピラティスやスポーツジムになっているようでしたね。

次の写真(7番目)は1番最初の写真の建物だけを向かい側から撮ったものです。この建物は私がかつてこの辺りに住んでした時には녹색극장(ノクセククッチャン 緑色劇場)という映画館でした。当時は緑色の建物でした。ここで映画を見たこともありましたけどね。90年代はこういう小さな映画館が結構ありましたね。

20240617 5 20240617 6 20240617 7

道の向かい側(地図右側)を北の方(上の方)に移動するとお食事処のところでもご紹介した「남영동 먹자 골목」(ナミョンドン飲食店通り)に出ます。地図上に表示が立っているところですね。いつも利用していたミソン会館のあるところです。詳細は6月9日の記事をご参照ください(6月9日の記事へはこちらをクリック)。

먹자 골목(モックチャコルモック 飲食店通り)を入って次の細い道を左に入って行きます。真っ直ぐ(地図上)に進んだ角にカルグクスの店があります(写真9番目)が、ここには以前薬局がありました。足がちょっと不自由な方でしたが、メガネかけたおねえさんが一人でやってられました。ここも結構よく利用しましたね。ちょっとした体調の不良などは薬局で薬買って飲んで済ませてましたからね。

それをさらにもう少し行ったところの10番目(最後)の写真の所だったと思うのですが、ここに中華料理店がありましたが、もう建物ごと変わってしまったようでしたね。当時ここでは2回ぐらいしか食事したことなかったのですが、前を通るとこちらのご主人がいつもにこやかに挨拶してくれたことが思い出されます。日本では普通かも知れませんが、当時の韓国の飲食店の主人でそんなに愛想のいい人はあまりいませんでしたからね。それも頻繁に行っていた訳でもないのに。中華料理店は当時は華僑の人が経営していることが多かったので、華僑の方だったのかも知れませんね。当時の韓国の華僑の人は台湾出身の方が多かったようなので、日本人に対する印象がよかったのかも知れませんね。今になって思うことですが。

長々と思い出をつづってしましましたが、まだPart2がありますので何卒よろしくお願いいたします(笑)。

20240617 8 20240617 9 20240617 10

Copyright © 韓国骨董李好 All Rights Reserved. login