「袴田事件」袴田巌さんの無罪確定
死刑判決が確定していた「袴田事件」の再審で9月26日に被告人袴田巌さんに対する無罪判決が出ていましたが、昨日検察が上訴権を放棄したことにより袴田さんの無罪判決が確定しました。
本当によかったです。再審判決で捜査機関による証拠の捏造を断じられていたことから、自らの組織のメンツを守るために検察が控訴するのではないかと心配していましたから。
1966年6月静岡県清水市の味噌製造会社専務宅で4人が殺害される放火殺人事件がが発生しました。警察は味噌工場の従業員であった元プロボクサーの袴田巌氏を犯人であると決めつけて捜査を進めた上で逮捕しました。
この件について、実は私は1980年からこの事件および裁判について知っていました。この事件について初めて知ったのは「ボクシング・マガジン」というボクシング専門誌で郡司信夫さん(日本最初のボクシング専門誌の創刊者で、戦後昭和期のボクシングのTV解説者として知られる)という方が獄中の袴田さんから届いた救いを求める手紙を受け取ったことを紹介されたのを見た時でした。
その後、高杉晋吾という方の著書『地獄のゴングが鳴った』(写真)という書籍が紹介されたため、すぐに購入して読んでみたところ驚愕の内容でした。弁護する側からの文書とは言え「こんな捜査や裁判で人が死刑に処せられるのか」と怒りがわいてきました。
長時間の取り調べによる自白の強要。公判中の証拠の変更(自供では袴田さんのパジャマが犯行着衣とされていたが、5点の血染めの衣服(今回の判決で捜査機関の捏造とされた物)に変更された。事件から1年2か月後に社内のみそタンク内から発見されたとされる。その中のズボンについては装着実験で太腿の辺りまでしか上げられず履けなかった。
公判途中で証拠物の犯行着衣が変更されるということは、自供の信用性は無くなりますし1年2か月後になって味噌タンクから新証拠が発見されたということは、それまで味噌タンク内は捜査されていなかったのか、ということになると思いますが。そんなことはあり得ないでしょう。
また、侵入口とされる裏木戸には上部に鍵がかかっており人が通れる隙間が無いことから、捜査機関の実験では鍵をはずした上で通り抜けの実験を行っていたと考えられ、袴田さん有罪のために虚偽の実験を行っていたと考えざるを得ないのです。
こういったことからも、もっと早く再審が開始され袴田さんに対する無罪判決が出るものと信じていましたが、こんなにも時間がかかるとは思ってもいませんでした。
袴田さんは長年の拘禁の影響によって起きる拘禁症状(幻覚や妄想などの症状が起きる)により意思の疎通が困難な状態となられている。弟の無罪を勝ち取るために頑張って来られたお姉さんのひで子さんには頭が下がります。袴田さん逮捕から58年。弟を支える活動中、死刑囚の家族ということでいろいろとおつらい目に遭われたこともあったのではとお察します。
袴田さん88歳、お姉さんのひで子さんは91歳。失った58年は帰って来ませんが、どうかお二人が余生を平穏にお過ごしいただけることを願います。そして国には充分な保障をお願いしたいです。