「昨夜の晩酌」
こちら「昨夜の晩酌」でご紹介している酒器やその他の器は、基本的には私の自宅にあって店頭には出ていないもの達です。
こちらでご紹介した酒器やその他の器の中で、もしご関心をお持ちになられたものがありましたら、「お問い合わせ」欄よりお知らせください。ご関心を持たれた品、ご来店日をお知らせ頂けましたら、店の方へ持って参ります。
昨夜の晩酌(小ぶりな井戸手盃の巻)
昨夜の晩酌です。
しばらくお鍋が続いていたのですが、前日の晩に決着をつけました。お鍋すると、前日の残った出汁で翌日もまたその翌日もと、いつまでも続いてしまうんですよね。それに決着をつけるのが雑炊ですよね。それで出汁を食べ切ってしまいますからね。でもなかなか締めの雑炊に行くまでに、お鍋本体の方でお腹一杯になってしまうんですよね(笑)。
昨夜の酒の肴はと言いますと、李朝初期の堅手大皿には白焼き鰻。手前の小松菜のおひたしを盛っているのは李朝末期分院の小鉢。もう一つ、三島の小鉢に盛ったものは、豆腐とカニのふわふわ揚げです。
三島白黒象嵌蓮弁紋徳利は、購入したのはもう15年ぐらい前になるかも知れません。白黒象嵌の蓮弁紋なのですが、全体的に象嵌が薄く、消えてしまいそうに薄いところもあります。口の半分ぐらいを欠いており、銀直しが施されています。あまり多くの回数は使っていませんでしたが、形よく容量も1合2~3勺と独酌にピッタリです。
井戸手の盃は、5,6年前になるでしょうか?購入したのは。口縁にキズはありませんでしたが、残念ながら側面と高台のあたりに欠けがあり、金継をしてもらっています。このような、貫入が入ってカイラギが見られるような井戸手の盃というのは、割と大ぶりなものが多いのですが、こちらは口径が6.5cm程と大変小ぶりです。盃は小ぶりな方が、お膳の上でスペースを取られることも無く、容量が少ない分、徳利からお酒を注ぐ回数が増え、その分盃にも徳利にも食事中に触る機会が増えますので、私は好きです。
徳利や盃等の酒器を、現在年末年始に向けて追加出品中です。詳しくはこちらをクリックの上、ご確認ください。写真の商品の中には、もう売れてしまった物のありますので、気になる商品がおありでしたら、本ホームページのお問い合わせ欄からか、または電話にてご確認ください。
昨夜の晩酌(お久しぶりの盤口徳利の巻)
久しぶりの昨夜の晩酌です。ちょうど3週間空いてしまいました。前回からその前も2週間空いてしまっていましたから、先月からこの記事が減ってきていますね。前回にも記したように、寒くなって鍋をする機会が増えたことも影響していますし、今月はソウルに行っていたので、ずっとそちらの報告をしていましたからね。一昨日でソウルの報告も終わりましたので、昨夜は、お客様から以前いただいていた桜エビはんぺんと実家でもらった野菜とお揚げの煮物をあてに晩酌をいたしました。
李朝白磁の盃は分院末期のものです。官窯であった分院が李朝末期に民窯になってから作られたものです。末期のものらしく、形もいびつで、ご覧の通り口縁のラインもぐにゃぐにゃしています。この時代のものとしても口づくりが厚い作りになっています。真っ黒に色のついたニュウが口縁に4本見られますが、その他には割れ・欠け・直し等のキズはありません。写真では分かり難いですが、見込みに貫入と釉溜まりがあって、酒を注ぐとよい景色になります。
李朝白磁の盤口の徳利は、李朝後期の民窯で焼かれた物でしょう。この手の徳利はよく見かけますが、ほとんどがサイズの大きいものです。容量が3合程度のものや、小さくても2合を超えるようなものが多いのですが、この徳利は1合7勺程と何とか独酌に使えるサイズです。昨夜、久しぶりに使ってみました。以前はこれでお代わりしていましたが、今はもう一回で十分ですね(笑)。盤口を好まない方もいらっしゃるようですが、私は嫌いではありません。李朝初期の堅手徳利などに多いいわゆるラッパ口の場合、一升瓶から徳利にお酒を注ぐ際にあふれさせてしまうことが度々ありますが、盤口の場合は受け止めてくれる容量があるため、その心配がありません。
野菜とお揚げの煮物は三島石榴紋の深皿に、桜エビはんぺんは李朝白磁祭器面取台皿にそれぞれ盛り付けてみました。桜エビはんぺんは、茨城のお客様から頂いたものですが、お勧めの食べ方として、パッケージに「焼く」か「生(なま)」か「レンジでチンする」かとありましたので、魚焼き機で焼いてみました。結構時間をかけて、写真のように焦げ目がつくまで焼いてみましたが、外はパリッと中はふわふわでおいしかっです。
はんぺんにつける生姜とポン酢を入れた小皿は、李朝初期の白磁小皿です。
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昨夜の晩酌(青井戸手盃の巻)
久しぶりの昨夜の晩酌です。ちょうど2週間空いてしまいました。今月は京都の骨董関連イベントも少ないので、14日に検査が終わった後は、晩酌の記事を書く機会が増えるだろうと思っていたのですが…。どうも徳利や盃を選ぶのに気合が入らなくて、ビールばっかり飲んでました(笑)。それと、寒くなったので鍋をする機会が増えたことも影響しています。昨夜は、うるめいわしと筑前煮という、日本酒用のおかずをいただきましたので、ようやく気合を入れて器を選んでの晩酌となりました(笑)。
高麗青磁の陰刻紋徳利は、5~10年程前に購入したと記憶しています。陰刻紋は、木の葉っぱなのか草なのかよく分かりませんが、何やらギザギザと彫り付けられています。写真に写っている面は、比較的深く彫られていますが、反対側の面は彫が浅くて更に分かりづらいです。丸っこくて可愛らしい、私の好きなスタイルですが、穴がやや小さいので、花を生ける方が向いているかもしれません。
やや大ぶりな青井戸手の盃は、韓国の骨董店で10年ぐらい前に買ったことは確かなのですが、どこの店だったか思い出せません。椀形に口縁に向かって開いているのではなく、真っ直ぐ垂直に立ち上がっているところが貴重な形状です。使用により、見込みや外側の腰の周辺が赤というよりは、枇杷色に変色してきました。さらに頻繁に使って行けば、まだまだ育っていい味になる物だと思いますが、私の場合、小ぶりな盃の方が好きですので、私の手元にある以上は、これ以上の成長は見込めないのでしょう。底の内側は、縮れ釉になっており、底部と側面にはカイラギ状になった釉薬も見られます。
うるめいわしは李朝初期官窯の白磁皿に、筑前煮は李朝末期の染付祭字紋祭器台鉢に、ほうれん草は李朝初期の堅手小鉢に、それぞれ盛り付けてみました。初期官窯の白磁皿は民窯の出来と違い、写真のようにしっかりとした高台です。染付の祭器は丸紋に「祭」の字が染付で書かれているのですが、筑前煮で見えません(笑)。ほうれん草には鰹節をかけて食べるのですが、写真撮る時にあんまり沢山鰹節をのせると、なんだか分からなくなってしまうと思って、少し控えめにかけたのですが、控え過ぎたようです(笑)。実際にいただく時は、鰹節をたっぷりのせて、ポン酢をかけていただきました。
昨夜の晩酌(金継ぎ第1号盃の巻)
昨夜の晩酌です。
来週14日(木)に検査があるので、それまでは晩酌は控える予定でしたが、おでんに白和えと日本酒にぴったりなおかずをいただきましたので、晩酌してしまいました(笑)。検査まで、もう一週間を切っているというのに心配ですが、まあ楽しく飲みましたからいいかなと(笑)。
李朝末期のサイズ小さめの白磁盃は、見込みにポツポツと鉄砂が出ています。胎土の鉄分が出たものだと思いますが、真ん中の一番大きいものは、ほくろのようにこんもりと盛り上がっています。元々は口縁に欠けがありましたので、安価で購入し自分で金継をしました。実はこの盃が、私が自分で金継をした第1号の盃でした。初めての割には、途中失敗もなくうまくいったので、その後の挑戦つながっていくのですが、やはりそう甘いものではなく、挫折して今に至っています(笑)。私は盃はこのような小さめのものを好みます。小さい方が徳利から何度も次いで飲めますので、それだけ徳利を触る回数も増えますのでね。
米色青磁の徳利は片面が平らになっています。普通両面(2面)が平たくなったものを扁壺と言いますが、これも扁壺と言っていいのでしょうか?それとも片扁壺などという言い方があれば、それにあたると思いますが?サイズもよく形も面白いのですが、乾燥させるのが結構大変なタイプのものなので、あまり多く使った記憶はありません。キズや直しもない完品ですので、冬場だとガスファンヒーターの前において乾燥させるという方法をとる手のものです。容量は一合ちょうどです。
おでんは李朝末期の陶質の鉢に、白和えは三島の小鉢に盛り付けてみました。どちらも晩酌の際によく活躍してくれる器です。
昨夜の晩酌(お久しぶり瑠璃小瓶の巻)
昨夜の晩酌です。昨日の「里芋」の記事の中で予告していたとおり、前日に長野のNさんよりいただいた大根と天神さんのチリメンジャコをあてに、やっぱり一杯やりました(笑)。
後期分院の白磁皿に盛ったローストビーフは、当日の頂きものです。前日にNさんよりいただいた大根をおろしにして天神さんのチリメンジャコとあわせた「じゃこおろし」は昭和レトロな紫色のプレスガラス小鉢に、同じくNさんよりいただいた大根葉のごま油炒めは李朝初期の堅手小鉢に、それぞれ盛り付けてみました。
大根葉のごま油炒めは、昨日の記事では鰹節とゴマを入れえると言ってましたが、さらにこちらにも天神さんのチリメンジャコを入れました。作り方ですが、まず大根葉を細かく刻んでおいて、まずは茎の部分から、その後に葉の部分という順でゴマ油で炒めます。その後、チリメンジャコ・鰹節・ゴマを投入して大根葉がしんなりするまで炒めます。チリメンジャコ・鰹節・ゴマの量は、大根葉の量に合わせて適当です。天神さんのチリメンジャコは、あまりよく干してい無いやわらかめのタイプなので、炒める前にまず電子レンジで1分ほど過熱して、少し水分を飛ばしてから使います。味付けは醬油を軽く回しかけます。ちょっと薄い目の味付けでいいです。作り置きして2,3日で食べますので、翌日、翌々日と味がシミて段々濃く、辛くなってきますので、作り立てはちょっと薄めにしておくとちょうどいいです。
酒器ですが、瑠璃の小瓶は容量がちょうど2合で独酌用に使えます。この手の瑠璃の瓶でお酒に使えるサイズの物は少ないです。これが容量1合半までになると、さらに希少なものとなります。瑠璃の発色もよくきれいです。ただ、残念ながら無傷完品ではなく、口縁に一箇所欠けの銀直しがあります。購入してから10年以上になると思いますが、実際に晩酌に使ったことは数回しかなかったと思います。ホントにお久しぶりでした。
粉引の平盃は口縁に割れ継ぎの金直しと欠けの金直しが1箇所ずつあります。写真では手前に置かれているため大きく見えますが、口径は10.5cmぐらいとよいサイズです。写真では分かり難いのですが、口縁に一箇所ひっつきの跡があります。写真では手前右側になります。直しをお願いする際に、この部分はそのままにしておいていただくようにお願いして預けたのですが、帰って来てからはどうもこの部分が気になります。個人的にはこれでいいのですが、売り物にするとなるとやっぱり気にされる方が多いような気がします。もう一度直しをお願いしようかなと思っています。
昨夜の晩酌(完全無欠盃?の巻)
今月2度目の昨夜の晩酌です。今月は京都で開催される骨董のイベントが多かったため、晩酌が少なかったですね。まあ、そういうシリーズです(笑)。来月は少し増えそうな予感がします(笑)。
李朝初期の堅手徳利は、色は少しグレーですが、形もきれいでいいサイズのように見えますが、これ実は写真で見た感じより、ずっと小さいです。容量が8勺程度です。可愛いいから買っちゃった口のもので、実際に徳利として使ったのは、買ってすぐの1回きりだったかもしれません。しかしながら、無傷完品で端正な形できれいなので、この度ご紹介してみました。でもまた、当分使うことは無いと思います。やっぱり徳利は容量1合から1合半ぐらいのものがいいですよね。昔は2合ぐらいのものがよかったんですけどね(笑)。
李朝末期の盃は、私がまだソウルにいた90年代末頃に手に入れたものです。この盃は、本当に見どころの多い盃で、見込みに出た赤み、釉垂、貫入、口縁に並んだ火間、底のくぼみに生じた縮れ釉と、これでもか、という程に景色が詰まっています。キズはニュウが一本のみ、口縁に上からガチンとものを当てた時にできる典型的なヤツがあります。手に入れた当時は、この盃の景色は完全無欠ではないかと思い、さらに極めようと、もっと赤くなれ!もっと貫入が深くなれ!と思いながら使っていました。その甲斐あって、よく育ってくれました。
焼きシシャモは李朝初期堅手の皿に、きゅうりとワカメ、チリメンジャコの酢の物は、高麗青磁の八角小鉢に盛り付けてみました。酢の物には、先日の天神さんで買ったチリメンジャコを追加で入れました。シシャモ、よく焼きにしてたら頭と尾びれが真っ黒けになってしまいました(笑)。
昨夜の晩酌(窯割れ盃の巻)
久しぶりの昨夜の晩酌です。今月のように京都の骨董イベントが多い月は、少なめになるのがこのシリーズです(笑)。
黒伊羅保系の高麗徳利は、ころりんチョンとした可愛い形とサイズが魅力です。まるっこいので結構入りそうに思いますが、実際のところは1合2勺程度で、独酌にピッタリのサイズです。確か15,6年ぐらい前に購入したもので、存在すら忘れかけていたものです。購入した当時も数回は使ったと思いますが、登板期間は短かったと思います。当時はまだ、毎晩相当な量のお酒を飲んでいた頃でしたので、この容量では頼りなかったのかも知れませんね(笑)。
口縁に結構大きめな窯割れのある貫入盃も10年以上前に購入したものです。お酒を注いでも、窯割れのところから漏れるということはありません。表面張力?理数系に弱いのでなんという原理によるものなのかは不明ですが、何らかの力が働いているようです。なので、窯割れ部分を外から指で触れると、お酒が指に付きますので、そこだけ気をつければ使用には問題ありません。
購入した当初は、この窯割れの部分に金継をしてもらい、その景色から銘「稲妻」等と名付けてみても面白いのではないかと考えていました。しかしながら、このままで使用してみると、窯割れの部分から酒をドンドン胎土に滲み込ませてくれるため、窯割れの周辺から見込みに赤みが差し、貫入もクッキリと深くなり大変いいアジとなりました。そんな訳で、とりあえず直しはせずにそのままで使おうと思っています。
酒の肴の方ですが、帆立のニンニクバター炒めは李朝後期分院の白磁皿に、ごぼうサラダは三島の小鉢に、玉子豆腐は三島の小皿に、それぞれ盛り付けてみました。
昨夜の晩酌(懐かしの金海手徳利の巻)
昨夜の晩酌です。
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初期堅手の徳利は金海のような肌です。容量は2合を少し超えます。傷物で口に数箇所と高台にも1箇所銀直しがあります。この直しがあまり上手なものではなく、気に入らなかったのですが、これをまた金直しにやり直してもらったら相当高くつきそうなので、このままで使っています。最初、高台の周辺に小さく並んで2箇所、1cmと1.5cmぐらいのシミが出ていたので、これは育つ手だと思い購入しました。12,3年前だったでしょうか。
購入してから半年ぐらいの間、ほぼ毎日のように使っていたら2枚目の写真のように、シミがどんどん広がって行きました。当時はこれでお代わりして飲んでました(笑)。これぐらい育って味がついてくれると楽しいですよね。
李朝白磁の盃は、分院末期のものです。すなわち、官窯であった分院が19世紀末に民営化(民窯)された後のものです。分院末期のこのような発色の悪い白磁盃は、私はがソウルにいた90年代末頃には、ソウルの骨董屋でまだまだ結構拾えたんですが、今は少なくなりましたね。この盃、よく見るこの手のものに比べて立ち上がりがあって、高く深い造りになっています。3枚目の写真で、同じ手の盃と並べていますので、こちらを見ていただくと分かりやすいと思います。
子持ち鮎の甘露煮は李朝初期の白磁皿に、うざく(きゅうりと鰻の酢の物)は三島の小鉢に、こんにゃく煮は李朝初期の堅手小鉢に盛り付けてみました。
昨夜の晩酌(口無しの三島徳利の巻)
昨夜の晩酌です。鯛のあら炊き・茄子とイカの煮物という和のおかずをいただいたので、これはやっぱり一杯やるべきとなりました(笑)。
鯛のあら炊きは李朝初期の堅手皿に、茄子とイカの煮物は李朝初期の堅手茶碗に盛り付けてみました。今回料理を盛った器は、共に使い勝手がよく、こちらの晩酌への登板回数も多いものです。
三島の徳利は口を全て欠いており、ぐるりと金直しが施されています。胴や高台周りには結構カセも見られます。このように状態もよくなく、決して自慢してお見せできるようなものではありませんが、本歌の三島徳利ですし、1合2∼3勺と独酌用にサイズがよく、口の穴が大きいので、酒の出がよく注ぎ易いです。三島の徳利も、上手の物で完品や口部に少し金直しがある程度の状態の良い物でしたら、結構な高額になりますが、これでしたらその10分の1程度のお値段になります。初めての三島徳利は、こんなとこから初めて見たらいいのではないでしょうか。
ちなみに、10倍程度の高額な三島徳利の例としては、当ブログ「昨夜の晩酌(じゃこおろしの巻)」(2019年06月24日作成)に写真を掲載しておりますので、ご参照ください(2019年06月24日作成「昨夜の晩酌(じゃこおろしの巻)」へはこちらをクリック)。
青井戸手の盃は、10年ぐらい前にどこかの骨董祭で購入しました。黒くなった銀直しが口縁に2箇所ありますが、これは購入当初は普通に銀色でした。購入後、4~5年で今のようないぶし銀になったと記憶しています。金継ぎもいいですが、このような銀直しがいぶし銀に変色したものも、またいいいですよね。時代は李朝後期でしょう。
昨夜の晩酌(甕器(オンギ)徳利の巻)
久しぶりの昨夜の晩酌です。ほぼ1か月ぶりでしょうか。
先日の京大病院での検査で、投薬によるものではありますが、糖尿の数値が下がっていましたので、しばらくぶりの日本酒解禁です。と言っても、その間ビールはガンガン飲んでましたけどね(笑)。夏場はしょうがないですよね(笑)。
徳利は甕器(オンギ)製のものです。甕器(オンギ)とは、うわぐすりを塗り高温で焼いた土製の甕で、キムチや味噌などを保存するのに用いられてきたものです。
90年代前半頃までの韓国では、家の前庭やマンションの屋上に大きなオンギの甕がいくつも置かれていましたが、今はキムチ冷蔵庫に姿を変えてしまいましたね。甕というから大きいものばかりを想像するかもしれませんが、家庭内で使う鍋や調味料などを入れる小型の壺なども作られています。
この徳利には、胴に線刻紋がぐるりと配されています。私がまだソウルにいた90年代末頃に購入したものと記憶しています。あまり使った頻度は高くなかったのですが、珍しいものですのでご紹介しました。容量は1合1勺程度です。
貫入のしっかり入った大ぶりの盃は、4,5年前ぐらいに踏十里古美術商街で購入したと記憶しています。私はどちらかというと小ぶりな盃を好みますので、この盃もあまり登板機会が多くなかったのですが、貫入が見込み全体に深くきれいに入っていて、よい景色です。井戸手盃と呼んでいいかと思います。時代は李朝末期です。
今日の酒のあては、和洋折衷になってしまいましたが、ローストビーフは李朝後期分院の白磁皿に、壬生菜のお浸しは三島の小鉢に、冷奴は高麗青磁の小皿にそれぞれ盛り付けてみました。