今日から7月 2024年
7月になりました。まだ梅雨が明けませんので気温はそれほど高くないのですが、今日もまた蒸し暑いですね。梅雨が明けるとまた8月末から9月初め頃まで猛暑日が続くんでしょうね。台風の接近や上陸、集中豪雨といったこともあるでしょうね。雨が続くのも猛暑も台風や集中豪雨も全部嫌ですね。これから2か月半ほどの間は、1年の中で一番体のしんどい心配事の多い時期ですね。
今月の京都の骨董関連イベントは下記の通りです。今月は古裂會の第137回入札オークション下見会開催されますね。今回は【特集】祇園御霊会屏風祭 です。
7日(日) 東寺ガラクタ市
10日(水) 平安蚤の市(開催地:京都市左京区岡崎公園内平安神宮前広場)
古裂會 第137回入札オークション下見会(会場:左京区岡崎公園内「みやこめっせ」京都市勧業館)
11日(木) 古裂會 第137回入札オークション下見会(会場:左京区岡崎公園内 「みやこめっせ」京都市勧業館)
21日(木) 東寺・弘法市
25日(月) 北野天満宮・天神市
今日1日の切符入り(神事始め)で祇園祭が始まります。今日から今月末まで1か月間に渡る祭礼です。16日の宵山、17日の山鉾巡行と神幸祭のあたりが、混雑と交通規制で特に大変なことになります。
今年は夏土用の期間が7月19日~8月6日で、その間に丑の日が7月24日(水)と8月5日(月)の2回なんですね。またお昼に鰻重食べに行ってご報告します。鰻は土用の丑の日で以外でも結構いただいて食べてますけどね(笑)。でもまあ、そこは特別な日ですからね(笑)。
大祓式(夏越祓)と水無月 2024
昨日お伝えした通り今日は6月30日ですので、例年通り店に来る前に八坂神社の茅の輪をくぐりに行って来ました。
本日6月30日は1年のちょうど折り返しにあたる日で、多くの神社で「夏越祓(なごしのはらえ)」といって茅の輪を立て、これをくぐる茅の輪くぐりが行われます。その年のこれまでの半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災・疫病退散を祈願するものです。
今年は本殿の横(西側)に茅の輪が立てられていました。八坂神社に着いたのが9時45分ぐらいと早目の時間で、雨も降っていましたので人は少ないだろうと思っていたのですが、結構な人数の人達が傘をさして並んでいました。
天神さんなんかの場合でしたら、次々と待ってる人たちが続いて茅の輪をくぐって行くんですが、ここでは一組ずつ8の字にくぐって行くのが終わるのを待ってから次の人がくぐるというやり方をするので、ものすごく時間がかかります。ここは毎年そうなんですよね。
そんな訳で、さすがにちょっと時間がかかり過ぎる感じでしたので、今回は写真だけ撮って来ました。25日に天神さんで大茅の輪と普通の茅の輪を、26日には平安神宮と安井金毘羅宮でもくぐって来ましたのでね。まあ今日はもういいでしょう(笑)。
今年も祇園鳴海屋で水無月を買って来ました。水無月は無病息災、邪気払いのため、京都では一年の折り返しである6月30日に食べるお菓子です。水無月の小豆は悪魔祓いを三角形の白ういろは暑気払いの氷を表したものです。なので私が子供の頃は白ういろの物だけでしたが、今は写真のように抹茶味や黒糖味の物もあります。
今年もまた1年の折り返しの今日、水無月を食べられまして大変幸せに思います。皆様どうぞお体ご自愛ください。
昨夜の晩酌(初登板の小さい半筒の巻)
警報級の雨と今週の初めぐらいから言われてきましたが、幸いこちらではさほど大雨には見舞われずにここまで来ました。一昨日の夜中というか日が変わってからですので、昨日の未明から朝にかけては強い雨が降りましたが、警報が発令されるまでではありませんでした。
今日は朝からいいお天気です。ただ今夜からお天気が崩れ出して、今の週間予報では来週は全て雨マークがついてますね。まあ梅雨だから仕方ないですね。
昨夜は「のと正」の鰻弁当をいただきましたので、急遽飲みとなりました。のと正は京都市東山区の松原通大和大路西に入ったところにある川魚屋さんです。私の母校の小学校がこの近くにあったんですが、随分前に廃校になってしまいました。しばらく建物は残っていたのですが、3年前でしたかね、取り壊しが始まって現在ホテル開業に向けて工事中です。
そんな場所にあって、その当時からよく知っていた「のと正」だったのですが、最近まで店名を「のとまさ」だと思っていました。しかし実は「のとしょう」だったんですね(笑)。
さて昨夜の酒器ですが、小さい半筒の盃はこちらでご紹介するのは初めてになります。ごく最近に入手した物ではありません。4、5年は前になるでしょかね。ソウル踏十里骨董商街で見つけたものです。ちょっと測って来るのを忘れてしまったんですが、口径が6cm前後だったと思います。小さい盃なんですが、これぐらいが私は個人的には好きです。これより小さくなってしまうと今度はちょっと小さ過ぎるんですよね。個人的な好みですが、小さ過ぎず小さい、盃はこれがいいですね。後期~末期の民窯の作でしょう。フォルムもかわいくていいですね。
李朝初期堅手の徳利は、これまでに何度もご紹介したものです。青みがかった釉薬がきれいです。容量1合3勺程度と独酌用に最適なサイズです。穴が大きいので使いやすくていいですね。口部に2か所大きめの金継ぎがあり、高台には窯キズもあります。キズや直しは残念ではありますが、その分普段使いには気楽に使えていいですね。
お料理の方ですが、海老豆(煮豆)と小鮎の甘露煮は分院末期の染付皿に、モズク酢は三島の小鉢に、それぞれ盛り付けてみました。海老豆(煮豆)と小アユの甘露煮も「のと正」の商品です。
小鮎は琵琶湖産の鮎で子供の鮎という訳ではなく、これで大人なんです。琵琶湖の鮎は食物の関係で、河川にいる鮎のように大きくはならないのだそうですよ。
明日(6/28)から第89回京都アンティークフェア開催
明日(6/28)から3日間、伏見区竹田の京都パルスプラザで第89回京都アンティークフェアが開催されます。京都アンティークフェアは、年3回3月・6月・10月に開催される西日本最大規模の骨董市です。第89回ということは年3回開催ですから、もう始まってから30年ぐらいになるんですね。
コロナ禍以降は以前に比べると出店数が減りましたが、以前多い時は全国から300店以上の骨董店が集まりました。かつては会場が1階だけでなく2階も使用していましたが、現在は1階のみの使用で開催されています。
期間中は地下鉄竹田駅から会場の京都パルスプラザまで無料の送迎バスが出ています。開催時間は28日と29日は10:00~17:00、最終日30日は10:00~16:00までです。
屋内での開催ですから雨天でも関係なく開催はされると思いますが、天気予報では今夜から明日(28日)にかけて京都の天気は雨で、しかも特に明日は警報級の雨になるかも知れないと言われていますのでね。警報が出た場合の開催の可否はどうなるのでしょうかね。JRが運行を取り止めたりしたら、当日混乱を招くでしょうね。大丈夫だとは思いますが。
警報発令時の開催について等、その他京都アンティークフェアについての詳細につきましては、公式ホームページでご確認ください。
※京都アンティークフェア公式ホームページ
下の写真は「縁切り縁結び碑(いし)」で知られる京都市東山区の安井金比羅宮の茅の輪です。昨日の帰りにたまたまこちらの神社を通り抜けたところ、茅の輪が立っていましたのでくぐって来ました。
30日は八坂神社の茅の輪もくぐって、例年通り水無月を食べる予定です。
平安蚤の市 2024年6月26日
平安蚤の市が今月は2回開催で本日も開催されました。今年は梅雨入りが遅かったですが6月というと梅雨時期ですので、なかなか開催が難しいところなのですが、今月は無事に2回とも開催できましたね。弘法さんや天神さんと違ってこちら平安蚤の市は雨天中止の場合がありますのでね。先週あたりまでの天気予報の週間予報などを見ていると、今日の開催は難しそうな感じでしたけどね。
今日は水曜日で定休日で、さらには月参りもありませんでしたので、9時半ごろに現地入りしました。お天気は曇りでしたが、時々薄日が差すような時もあり、ちょっと予想外な感じでしたね。
予想外といえば、露店の方は普段通りそこそこ出ていたのですが、いつもに比べると来場者の方がやや少ない感じでしたね。やっぱり、お天気の方を心配して出掛けるのを取りやめた人も多かったんですかね。
今回は骨董の会で一緒だったNさんご夫婦は、明後日からの京都アンティークフェア(6/28~30 伏見区の京都パルスプラザで開催)に出店されるため、そちらの準備があるので出店されてませんでした。
古裂會さんはいつもの場所に出店されてましたね(写真2番目)。古裂会さんの次回のオークション下見会は来月の10日(水)・11日(木)に同じ岡崎公園内のみやこめっせ(京都勧業館)で開催されますね。次回オークションのカタログを置いてられましたね。
昨日は北野天満宮・天神市、今日は平安蚤の市と2日続けての骨董市でした。1日置いて明後日28日(金)から3日間は、先述のとおり伏見区竹田の京都パルスプラザで京都アンティークフェアが開催されます。
今日平安神宮の応天門のところに茅の輪がかけられていましたので、昨日に続きくぐって来ました(写真14番目、最後から2番目)。また30日には八坂神社の茅の輪もくぐりに行って来ます。
平安蚤の市の次回開催日は7月10日(水)です。無事開催されれば、古裂會の入札オークション下見会と同じ岡崎公園内でのダブル開催になりますね。
北野天満宮・天神市 御誕辰祭 2024年
今日は25日天神さんの日です。本日6月25日は、菅原道真公のお誕生日の祭典である御誕辰祭です。朝から北野天満宮の天神市に行って来ました。
御誕辰祭の今月は、楼門に掛けられた大茅の輪をくぐって無病息災を願う「大茅の輪くぐり」が行われます。1年の折り返しとなる6月になるとあちこちの神社で茅の輪が立てられ、この茅の輪くぐりが行われますが、こちら北野天満宮の大茅の輪の大きさは、日本一かどうかは分かりませんが京都では一番大きいはずです。
過去コロナ禍前頃まではモラルのない参拝者達が大茅の輪の茅を引きちぎって持ち帰えるため、午前中に大茅の輪が竹の枠だけになってしまうという、情けない状態が続いた時期がありました。
しかしその後、楼門のところで茅の付いた小さな茅の輪を「茅付 茅の輪守」として販売し、大茅の輪の茅をとらないようにと神社の人が注意するようになってからは、そのようなことが無くなり本当によかったです。
また本殿前には一般的なサイズの茅の輪が設置されており、こちらの方もくぐって来ました(写真5番目と6番目)。
今年もまた夏越の厄除け・病気除けの「茅の輪守」(写真8番目と9番目)を買って帰って来ました。またいつも通りこれを周りの人たちに配ります。
今日はお天気の方が心配されていましたが、何とか大丈夫でしたね。小雨がパラつくような時間帯もありましたが、傘無しで出歩けないレベルでは無かったですからね。
今日はメダカの販売をしているお店が出ていましたね。年に1度か?2度か?それぐらいのペースで出店されているようですね。メダカの写真を撮らせていただきました。金魚か錦鯉かというようなきれいな色のメダカがいましたね(写真11番目)。このように交配させて作ったメダカが今人気だとテレビなどで見たことがありましたが、実物は初めて見ました。
上七軒歌舞練場にビアガーデンのぼんぼりが立っていましたが、まだ準備中で開催期間は7月1日(月)~9月7日(土)のようですね(写真最後)。
明日の平安蚤の市も開催が危ぶまれていましたが、開催が決定しましたね。明日もまた行って来ます。
昨夜の晩酌(無地刷毛目大盃の巻)
近畿地方も今日から梅雨入りしたようです。平年より半月ほど遅い梅雨入りだそうです。これから鬱陶しい天気が続くのかと思うと気分が落ち込みますね。梅雨が明けたら今後はまた猛暑でしょうからね。考えただけでもしんどいですね。
今日は21日で東寺・弘法市の開催日ですが、昨日の夜遅くから朝まで雨でしたので行っていません。昨日の夜に天気予報見た時点で決めてました。昼前の午前10時ごろからは雨も上がりいいお天気になりましたが、天気予報が雨で朝雨が降っていると露店の出店が少ないですからね。
ただ、25日の天神さんは大雨が降ったとしても必ず行って来ます。今月は茅の輪くぐりですからね。茅の輪守りも買って来なければなりませんのでね。
弘法さんの代わりという訳ではありませんが、昨日はソウルで買ったキムチの残りを使ってトゥプキムチ(豆腐キムチ)を作って晩酌しましたので、そちらの報告をさせていただきます。
材料は白菜キムチと玉ねぎ、豚肉、ネギ、ゴマです。キムチはもうだいぶ日にちが経っていましたので、酸味が強くなって来てましたね。日にちが経って酸味が出てきたキムチは、このように炒め物にするか鍋にするのがいいですね。豆腐がいつも買うものと違ったので切り方が難しくて、一欠けのサイズがいつもより小さくなってしまいましたね(笑)。
トゥプキムチの時はマッコリがいいのですが、残念ながら昨日は用意できませんでしたので、日本酒にしました。しかしながら、いつもの日本酒の時のように徳利と盃でチビチビ飲むのは、私の中ではどうも違うなと感じましたので、昨夜は徳利は使わず無地刷毛目の大盃で飲むことにしました。あんまりやらないことなんですけどね。
無地刷毛目の大盃はサイズが口径約11cm、高さ6㎝ですから、酒盃としてはやはり大きいですね。私の場合このサイズならやっぱりマッコリがいいですね。最近は古陶磁器でワインやら焼酎のロックなどを楽しまれる方もいらっしゃるようなので、そのような用途にはよいサイズでしょうね。
状態は高台に銀継ぎが1箇所、口部から胴部にニュウが2本確認できます。ニュウの1本は口縁から見込みの中心辺りまでの長いものですが、漏れはしません。写真6番目と7番目のように、お酒を注ぐ前と注いだ後では見込みの表情が変わります。いい感じにアジが付いていきそうですね。
また今度マッコリを用意してこの無地刷毛目で飲んでみたいですね。お料理の器ですが、トゥプキムチは李朝堅手の大皿に、ほうれん草のお浸しは李朝初期白磁の小鉢にそれぞれ盛り付けてみました。
仁寺洞 아름다운 차박물관(美しい茶博物館) 2024.5
こちら京都は今日の天気予報が一日曇りですが、週間予報では明日からの1週間はずっと雨になってますね。いよいよ梅雨に入るようですね。26日(水)の平安蚤の市は開催中止になるかも知れませんね。
韓国から帰国してもう3週間になりますが、まだ今日もソウル情報のご報告です(笑)。
また今回も仁寺洞にある伝統茶店の아름다운 차박물관(美しい茶博物館)に行って来ました。いつもは旅行中に2回は訪ねるのですが、今回は2日目の28日(火)に1回だけ行って来ました。
旅行中のソウルは結構暑くて、大体毎日最高気温が27℃以上で29℃の時も確か1日ありました。
そんな気候でしたので、今回は冷たいものをということで미숫가루(ミスッカル)を注文しました。미숫가루(ミスッカル)とは、米粉・小麦粉(はったい粉)・豆粉などを蒸したり炒ったりしたものを粉にして混ぜ合わせたものです。写真1番目と3番目のようにそれを水や牛乳などで溶いて氷を入れ冷やしています。冷たい物だけでなく暖かくしても飲めます。どうも冷たい韓国の伝統茶というといつもオミジャ(五味子)茶ばかりを飲んでしまうので、今回は別の物にしました。
今回はいつもの焼いた餅ではなく餅あられのようなものが付いてきました(写真4番目)。今回も時代のある高麗青磁の小皿で出て来ましたが、これまでに無かったぐらいカセと土錆びの強い物でした。骨董好きなら問題ないんですが、そっちに関心のない方がこれで出されたら「汚い皿っ!」って思われるかもしれないですね(笑)。
いつものようにお土産に京都の生八つ橋を差し上げたら、いつもより大きい焼いたお餅二切れをハチミツ付きでサービスにいただきました(写真5番目)。またこの日は代表さんがいらして、帰りにまたお茶(紅茶)をお土産にいただきました(写真6番目)。前にいただいた物もそうでしたが、紅茶独特の渋みのようなのもが無く、大変飲みやすい紅茶でした。
今回ギャラリーの方は、現代作家さんの茶碗が展示されていました(写真8~11番目 ※最後の4枚)。
ソウルタワーの見える風景(2024年5月)Part2
こちらは昨日の深夜から今朝にかけて結構な量の雨が降りましたね。九州や四国の方はかなり酷かったんでしょうね。こちらは幸い警報が出るほどではありませんでした。午後になってもう晴れて来ています。今から東海~関東の方が酷くなるようですね。そちら方面の方は、どうぞご用心ください。
昨日の続きです。また地図を載せています。今日のは地下鉄4号線淑大入口(숙대입구 スクテイプク)駅周辺を中心にしています。昨日特に触れなかったのですが、地図の向かって右側に緑色で表示された部分がありますね。実はここ米軍基地の敷地です。淑大入口駅と南榮(남영 ナミョン)駅といえば、それぞれの路線でソウル駅の次の駅ですから首都ソウルのど真ん中です。そんな場所に米軍の基地があるんですよね。
地図の淑大入口駅の2番出口のあたりから右斜め上の方に向かって、黄色い色で示された細い道があるのがお分かりになると思います。この道に美容室の「행운(幸運)」やフライドチキンの바니 치킨(バニーチキン)があります。当時私が毎日行き帰りに通った道で、3~5番目のソウルタワーの見える風景の写真はここから撮ったものです。
この道に下から真っ直ぐ交わっている道が2本ありますが、その右側の長い方の道と交わった地点辺りに바니 치킨(バニーチキン)があります。そこから近い道の反対側の6番目の写真の建物は、私がここに移り住んだ当初は2階・3階部分が목욕탕(モギョクタン 銭湯)でした。しかしながら直ぐに廃業されたので、2,3回しか利用できませんでしたが。その後は家でシャワーだけで済ませていたと思います。韓国の人は日本人ほど浴槽に浸かりたがりませんからね。浴槽が無くシャワーしか設置されていない家の方が多かったように思います。
もう無くなりましたが、この建物の隣りかそのもう一つ隣に日本酒に近いお酒を一升瓶で売っていたお店がありました。食品(菓子・乾物中心)・酒類・生活用品など色々な物を置いているお店だったんですけどね。
今回「바니 치킨(バニーチキン)」で、ヤンニョムチキンを20数年ぶりにテイクアウトしてホテルで食べましたが、注文したら20分ほどかかると言われましたので、その時間を利用して후암시장(フアム市場)を見に行って来ました。この辺り후암동(フアムドン)という地区で、この地域の人たちの日常生活を支える小さな市場だったんですが、今まだ当時の面影を残しているのか少々不安でした。地図上には表示されていないのですが、今話題にしている道をさらに真っ直ぐ上の方に行った先に市場があります。一本道なので迷うことはありません。ちなみにバニーチキンを出たあたりから撮ったソウルタワーの見える風景が8番目の写真です。さらに道を進んでいくと途中にも9番目の写真のように、建物の間からソウルタワーが見えるスポットも発見しました。
当時市場で買い物したというより、市場に行く直前に当時はスーパーとおかずをパック詰めして売っている店があり、そちらでよく買い物していた時期がありました。
5分ぐらい歩くと市場に到着しました。正面にアーケードの看板が見え、当時と変わりない市場の姿が確認出来て安心しました。ただ当時ほど活気は無かったですけどね。一番最初の写真が후암시장(フアム市場)から撮ったソウルタワーの見える風景です。
その後バニーチキンに戻り、無事ヤンニョムチキンを受け取りました。いい時間配分でしたね。
ソウルタワーの見える風景(2024年5月)Part1
前回に訪韓時のご報告の際にも申し上げた通り、私は1992年から2000年の約8年間ソウルに在留し、最後の3年間を龍山区(ヨンサンク)の厚岩洞(후암동 フアムドン)で過ごしました。2番目の地図の地下鉄4号線淑大入口(숙대입구 スクテイプク)駅と1号線南榮(남영 ナミョン)駅に周辺になります。地図の縦に走る水色の路線が4号線で上方にある駅が淑大入口駅で、その左側の藍色(濃い青)の路線が1号線で下の方にあるのが南榮駅です。いずれもソウル駅の次の駅です。
この辺りの地域が当時の私の生活圏で、現在の訪韓時にもこの辺りで食事などをしています。最初の正面にソウルタワーが見える写真はナミョン駅から淑大駅の上に当たる한강대로(ハンガンデロ)に出る交差点付近から撮ったものです。
3番目の写真の建物が当時の私の職場があった建物です。地図の9番出口を出たところです。今はもうありません。帰国して2,3年のうちに無くなりました(笑)。写真を見ると手前に横断歩道が見えますが、当時はありませんでした。というか、コロナ禍の後になって来た時に出来てました。なのでつい最近までは道の反対側に行くには地下鉄駅の地下への階段を使って上り下りしての移動でした(笑)。90年代の韓国は本当に横断歩道が少なく地下道を使っての移動が普通でしたね。
その向かい側に4番目の写真の한솥(ハンソッ 一つの釜の意味)という弁当屋さんが今もありました。この한솥という弁当屋さんはチェーン店で日本の本家かまどやの姉妹会社として創業されたそうです。当時はメニューもかまどやの弁当に似たようなものが多くあり、お昼によく利用してました。この日は張り紙があり早く営業を終了していたようです。地図4番出口のあたりですね。
次の5番目の写真の「Alpha」という店は当時の職場の隣の建物で文具屋さんです。当時も今もちょくちょく利用してます。ホテル近くのダイソーに無い物などをこちらで探します。文具だけでなく傘、ビニールのショッピングバッグ、靴下やぬいぐるみの人形などのおもちゃ類などもあったりします。
そこからナミョン駅の方向(地図下の方向)に行くと、ナミョン駅の交差点に近いところに6番目の写真のような地下へ下りる入り口の階段があります。ここの地下にかつてはボーリング場があり、屋根の上にボーリングのピンの看板もありました。ボーリング場と言ってもレーンが6レーンぐらいのところです。90年代にはそのようにビルの地下に小さなボーリング場が結構存在してました。しかし90年代後半以降ここは日本のキリンビールの居酒屋など、居酒屋やビアホールになってたんですが、今はピラティスやスポーツジムになっているようでしたね。
次の写真(7番目)は1番最初の写真の建物だけを向かい側から撮ったものです。この建物は私がかつてこの辺りに住んでした時には녹색극장(ノクセククッチャン 緑色劇場)という映画館でした。当時は緑色の建物でした。ここで映画を見たこともありましたけどね。90年代はこういう小さな映画館が結構ありましたね。
道の向かい側(地図右側)を北の方(上の方)に移動するとお食事処のところでもご紹介した「남영동 먹자 골목」(ナミョンドン飲食店通り)に出ます。地図上に表示が立っているところですね。いつも利用していたミソン会館のあるところです。詳細は6月9日の記事をご参照ください(6月9日の記事へはこちらをクリック)。
먹자 골목(モックチャコルモック 飲食店通り)を入って次の細い道を左に入って行きます。真っ直ぐ(地図上)に進んだ角にカルグクスの店があります(写真9番目)が、ここには以前薬局がありました。足がちょっと不自由な方でしたが、メガネかけたおねえさんが一人でやってられました。ここも結構よく利用しましたね。ちょっとした体調の不良などは薬局で薬買って飲んで済ませてましたからね。
それをさらにもう少し行ったところの10番目(最後)の写真の所だったと思うのですが、ここに中華料理店がありましたが、もう建物ごと変わってしまったようでしたね。当時ここでは2回ぐらいしか食事したことなかったのですが、前を通るとこちらのご主人がいつもにこやかに挨拶してくれたことが思い出されます。日本では普通かも知れませんが、当時の韓国の飲食店の主人でそんなに愛想のいい人はあまりいませんでしたからね。それも頻繁に行っていた訳でもないのに。中華料理店は当時は華僑の人が経営していることが多かったので、華僑の方だったのかも知れませんね。当時の韓国の華僑の人は台湾出身の方が多かったようなので、日本人に対する印象がよかったのかも知れませんね。今になって思うことですが。
長々と思い出をつづってしましましたが、まだPart2がありますので何卒よろしくお願いいたします(笑)。